ドーバー海峡。
ユーラシアとブリテン諸島を隔てるイギリス海峡の再狭部。北海と大西洋の境界。
ここを渡れば北アイルランドには連邦海軍の一大拠点、ベルファスト基地があり、
各島には空軍基地や陸軍の駐屯地が点在している。
コロニー落としの被害を比較的軽微に抑え、ロンドンやバーミンガムといった大都市も健在なこの地方は、
今やユーラシア大陸から放逐されつつある連邦軍にとって、来るべき日………欧州奪還のその日まで、
少しでも多くの戦力を逃がし、温存し、回復させるための重要な拠点だった。
宇宙世紀0079年7月28日。
ドーバー海峡のユーラシア側の要衝、カレーの港には、
ブリテン諸島へと落ち延びてゆく連邦陸軍部隊でごった返していた。
上空はミデア型輸送機とその護衛機がひっきりなしに飛び交い、
それに加えてCAP(戦闘上空警戒)任務中のTINコッドやフライマンタの編隊まで飛んでいる。
海上は海上で輸送艦や揚陸艦が所狭しと埠頭に並び、
海峡を完全封鎖する勢いでありとあらゆる種類の戦闘艦艇が遊弋している。
「人員を最優先だ!負傷者を見捨てるなよ!」
「捨てちまえ、そんなスクラップ!ガラクタ積む余裕は無ぇんだぞ!」
≪輸送艦オリヴェイラ、出航を許可する。ボン・ボヤージュ!≫
港独特の活気がある海軍兵士に比べ、陸軍の兵士達の表情は重い。
歩ける者は粛々とタラップを登り、負傷者や物資を乗せる手伝いを行う。
手の空いた兵士達は甲板や通路に鈴なりになって、船上からカレーの街並みを………
これから去りゆく、欧州の大地を眺めていた。
ふと、誰かの歌声が聞こえた。
何故に人は彷徨う soldier
抗い続けることで 確かめる humanity………
旧世紀のアジアの歌手の、古い歌だった。
開戦直前にリメイクされたリバイバル盤がリリースされ、今もヒットチャートに載っている人気曲である。
小さな傷痕なんて この空に 手放して
カラッポになる勇気一つ 抱えたら 飛べるわ………
隣の兵士が続けて歌い、さらにその隣の兵士も続けて歌う。
歌声は兵士から兵士へ、部署から部署へ、そして船から船へと伝播し、港全体へと広がってゆく。
蒼い闇を抜け 君を見つけた………
兵士達はユーラシアの大地へ、その彼方にある自分達の故郷へ向けて歌い続ける。
それは、決意の合唱だった。
果て無き大地 巻き上がる砂
燃え尽きる その瞬間に 生まれ出づるよ
何に縛られ 何を壊して
宛てもなく その胸を 切り裂いてゆく………
欧州よ、我が故郷よ。
今はしばしの別れだ。
我々は必ずここへ帰ってくる。
勝利を掴み、故郷を取り戻すその日まで。
我々は決して諦めない。
愛し切れたら 強くなれるはずさ………
兵士達は涙を流しながらも目を閉じず、欧州の景色を目に焼き付け、歌い続ける。
歌声は絶える事無く、カレーの港に響いていた。
夕焼けに染まるヨーロッパの大地。
遠くはドーバー海峡の要衝、カレーへと向かう道を、兵士達の列が続いていた。
肩を落とし、表情は沈み、足取りは重い。
モビルスーツという名の死神から、命からがら逃れた、文字通りの敗残兵。
今の彼らを表現する言葉は、それに尽きた。
「………連邦は負けるぜ。」
誰かがぼそりと呟いた。
「ああ………。」
「あんな奴らにゃ勝てねぇよ。きっとジオンには本物の宇宙人が居て、技術を与えてるんだ。」
冗談とも本気ともつかない言葉だが、彼らが受けた衝撃はそれほどに激しかった。
地球を守る。
その崇高な使命を胸に、彼らは立っていた。
しかし巨人は、彼らの刃を悉く弾き、その矜持を粉々に砕いてしまった。
「………ジオニスト共は「地球人」を皆殺しにするつもりだ。」
誰かの声。
平時であれば荒唐無稽な言葉の数々は、奇妙な現実感をもって兵士達の心を蝕んでゆく。
「南極条約がある、いくらジオンだって………」
「スペースノイドに、地上で核兵器を使うリスクが理解できるわけがねぇ。
現に奴らは、一週間戦争じゃ核でコロニーを潰している。」
「あぁ、コロニーまで落としたんだ。きっと徹底的にやるぜ………。」
不安げなざわめきに、ついにしびれを切らした士官が怒鳴り声をあげた。
「誰だ、くだらん話をしている奴は!」
ヒステリックな叫びに首を竦め、再び無言で歩き続ける。
そんな光景が、夕闇に沈む道路で延々と続いていた。
宇宙世紀0079年3月1日
地球 ヨーロッパ南方戦線
「後退!後退!!」
誰かの絶叫。
その叫びも、巨人の足音に潰された。
悲鳴と絶叫を銃声が上書きし、爆発音がかき消し、怒号と喚声が折り重なる。
戦場は阿鼻叫喚の地獄と姿を変え、更に拡大を続けていた。
崩壊する戦線。
その最中でも、頑強に抵抗を続ける部隊は少なからず存在した。
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